うつ病だけど旅行行く

 

皆さんご存知の通り、わたくし自宅はうつ病で療養中の身である。

 

お医者さんから「はい休みなさいね〜」と目の前に置かれた莫大でまっさらな時間と暇に、時折恐ろしくなってしまう。時間が有り余ってしょうがないなんて、社会人としてはありがたいことだし、休むのも仕事のうちとは言うものの、無計画な休暇に焦燥感を感じてしまう。自分は幸い、寝たきりタイプのうつ病ではなく比較的活動的な(?)うつ病なので、毎日何かしら動いていないと気が済まない。

この時間を利用して何かしなければ、何か前へ進まなければ。

 

そんなときに私が思い浮かぶことは一つしかない。1週間以上の旅行である。一つのところに留まるのではなく、毎日どんどん違う場所へ訪れる旅行。

 

誰も自分のことを知るはずのない土地に赴くのは非常に気分の良いことだ。降り立った途端、少しひんやりした気持ちになる。

 

また、旅の先々での強烈な記憶は、自分の養分となって後々の人生において勇気をくれ、自分の人生に対する信頼となって自分を護ってくれる気がする。

 

 

 

例えば、

下関(山口)で、海峡を眺めることができるゲストハウスに泊まり、コンビニで買ったスト缶を屋上のテラスでチビチビと飲んだ時のこと。月が見え隠れする夜、雲間から月が見えた瞬間、その時に聴いていた君島大空が沁みて沁みて感動して泣いてしまった記憶。

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あるいは、就活が終わった直後の四国一周旅行で、夕暮れのフェリーの甲板に出た時のこと。エメラルドグリーンみたいな空の下、要らないものを海にポイポイ投げ捨てるように「ハイおしまい!」と就活サイトのアプリを一斉に削除した清々しい記憶。f:id:my-home-emotion:20210304200232j:image

 

 

また、五島列島(長崎)の福江島のゲストハウスにて、閑散期だったので事実上の“一棟貸し切り”状態になってしまった時のこと。近くのスーパーで買ってきた近隣産の豚肉を備え付けの調味料で適当し、静かなキッチンの中、気分が良くなって爆音で音楽を流して一人踊りながら食べた楽しい記憶。

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まだまだある。

しまなみ海道をサイクリングしていたら生垣に突っ込んで顔面に傷をつけた記憶、雨の降る萩の静かな喫茶店で出してくれた温かいみかんジュースの甘酸っぱい記憶、秋田の海沿いを走る電車で、太陽が海に沈んでゆく様を見届けた記憶、、、どれも自分が一人旅を重ねてゆく中で粛々と貯めてきた大切な記憶である。

 

その時その場所だからこそ強烈に残った、私にしか分からないそんな記憶たちは、その後の私を確実に勇敢にしてくれている。

私にとっての一人旅は、そのような記憶を集めるための手段なのである。

 

さて、私はこの文章を北九州に向かうフェリーの中で書いている。また東京へ戻ってくるのは8日後であるが、その間に私は大切な記憶 を重ねることができるのだろうか。うつ病が発覚してから初めての旅行で、休職中の今だからこそ見つけられる“瞬間”がきっとあるはずだ。だからこそ今、私は旅行に行く。

非常に楽しみである。

 

 

それでは行ってきます。