帰る場所がない話

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晦日、実家に帰った。

 

あちら側にとって、「私が帰省しない」という選択肢はどうやら残されていなかったようなので、まあ美味しいものでも食べられれば…と、学生時代は滅多に乗らなかった特急列車で地元茨城へと帰った。

 

上京5年目にして、家族や親戚が聞く「元気してるか?」という会話に、本当の答えは求められていないのだと知る。私の安否は恐らくどうだっていい、彼ら自身が安心したいのだ。「精神がめちゃくちゃ病んでしまいました〜」という言葉をグッと飲み込んで、「まぁぼちぼちね」という生温い答えを用意する。

 

 

帰省中、北海道に住む親戚から電話があった。

案の定聞かれた「元気か?」という質問に、私はうっかりと「かなり大変で擦り減っている」と答えてしまった。私が東京で暮らしていることをよく思っていない親戚は、そこに集まっている全ての人間に「私がどうやら上手くいってないようだ」と言いふらすだろう。もう恐らく帰ることのない場所、何とでも言えばいい。

 

私と北海道にいる従姉妹は、何もかもが逆であった。他人に取り入るのが得意な従姉妹はどの親戚とも上手く会話していて、一年に一度会いに行く度に、私にはそれが絶対できないと幼い頃から感じていた。

 

従姉妹は職場でも気に入られており、上手く“社会人”をこなしていると親戚づてに聞いた。一つ上の彼女は地元を愛し、家族を愛し、実家暮らしをしている。きっと地元の縁に囲まれながらその一生を遂げるのだろう。

 

「あの子は都会に出て名のある大学まで出ているのに、あまり上手くいっていないらしい」と、きっと私は北の土地でいつまでもネチネチと言われ続ける。それはそれで面白い気もする。

 

電話を切った後、「私には私の生活があるのだ」と自負するように、恋人からもらったばかりの香水を付けた。田畑に囲まれた田舎に似合わないその幾ばくか都会的な香りは、私への慰めとなって寝るまで残り続けた。彼は今年は実家に帰らないと言った。

 

 

もう何年目かわからない「芸能人格付けチェック」、父が毎年楽しみにしている正月番組なので、私も流れで視聴する。「インターネットが普及してから嘘を嘘と楽しめる人が減った」という誰かのツイートを思い出す。今年もGACKTが連勝し続けているらしい。

 

父が「この芸能人は知らない、誰なんだ、名前も聞いたことがない」と独り言を言う。あらゆる芸能人に向かって、何度も何度も言う。

 

実家での時間はそれなりに楽しい。しかし、ここは自分が生活の中で大切にしている何かが「停滞」している。ここにいたら確実に頭がおかしくなる。そう思った瞬間、ここはもう、私が帰る場所ではなくなったのだと気付いてしまった。それは哀しい瞬間であり、信頼できるものをまた一つ失った瞬間でもあった。

 

 

 

帰り際、私を駅まで送った父は「困ったら何でも言うんだぞ」と言い、私は「分かった、ありがとう」と返す。そして逃げるようにして東京に戻ってきてしまった。本当に困った時、私は誰に頼るのだろうか。それとも誰にも頼らず、ひっそりと自死を選ぶのだろうか。

 

 

東京に戻ったら、地元よりも圧倒的に汚いはずの空気が心地いいものに感じた。ここはカルチャーが生きて、動いていると実感した。

 

 

流行に追いつくのが全てではないと言いつつも、それなりに追っていないと知らないうちに置いてけぼりになってしまうこの空気に、私は最近やっと慣れてきた。

 

この土地が自分のことを両手を広げて迎え入れてくれているとは到底思えないが、その分この土地には「しがらみ」がない。私なんていてもいなくても、ここでの社会は平気で回っていく。その無愛想さに寧ろ私はホッとする。

 

 

上京5年目ともなれば、ここに来たからといって「何者にもなれない」ということは分かりきってしまった。それでも何かがあるかも知れないと、まだ少なからず期待を抱いてしまっている青二才で恥ずかしい自分を抱えたまま、「暫くはここでやっていくしかないんだなあ」と最近見つけたお気に入りのカフェでこの文章を書いている。